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平戸神楽について

平戸神楽とは

 平戸神楽は二十四番からなり笛、太鼓を主旋律とした雅楽によって舞われ、歌詞は敬神思想の鼓吹と尚武清浄の気に満ちた荘重なものである。

平戸神楽とは(中段)

その起源は詳かでないが、往古西海警備に当たられた十城別王が中津良白岳で天 神地祇の祭事を行われた故事、1515年(永正十二)七郎宮の流鏑馬が取行われた。又1592年(文禄元)第二十六代鎮信(法印)が朝鮮出陣の折兵具の上 に烏帽子直垂を着し幣帛を捧げて手船の櫓に上り三度拝礼し、石火矢を放ったと古記にある如く当時既に何らかの神楽らしきものが行われていたのではないかと 考えられる。『大神楽唱経』奥書に「1570年(元亀元)」御当家御領に相成、為御目代松浦豊後守様壱岐へ御渡海御在勤の始、武生水御館にて相勤、其の後 平戸御館にても 大宮司吉野氏国中之諸社家召連隔年 下り相勤…」とあり、初十二名の社家であったが八名となり不足は平戸の社家相勤めたとある。このこと から平戸と壱岐の神楽の技法が調和、融合して神楽が舞われたと推定される。
 
 其後第二十九代鎮信(天祥)の世に橘三喜、藩主の命を受け京に上り神道を極め、1675年(延宝三)平戸を旅立ち全国六十八州の一の宮を巡詣し、各社の神楽を調査研究して、在来の神楽に諸国の神楽の粹を集成して、現存する二十四座の平戸神楽を大成した。
 
 平戸神楽は歴代藩主の保護奨励をうけ、藩内神社の祭礼には必ずこの神楽が奉納されているが、特に亀岡神社秋季大祭の十月二十六日に平戸神楽二十四番が奉納される。
 
 昭和三十七年に県指定無形民俗文化財、昭和六十二年国指定無形民俗文化財となり、平戸神楽振興会によって神楽の伝承と振興がはかられている。

平戸神楽 全二十四番

一、太鼓始(たいこはじめ)
  神のご降臨を願う神楽。動画はこちらから
二、荒塩(あらしお)
  四方を祓い氏子の長寿を祈る神楽。動画はこちらから
三、四本弊(しほんへい)
  弊束(みてぐら)を献てまつり神を祈る神楽。動画はこちらから
四、二本弊(にほんへい)
  弊束を立て神の降臨を祈る神楽。動画はこちらから
五、所堅(ところかため)
  神楽座を祓い清め、氏子の平安を祈る神楽。動画はこちらから
六、二弓(にきゅう)
  甲胄を着て弓矢を持って舞う、悪霊退散を祈る神楽。動画はこちらから
七、山の神(やまのかみ)
  天照皇大神の御神徳を顕称する神楽。動画はこちらから
八、折敷(おしき)
  曲芸的な技であり、神の御心を和め奉る神楽。動画はこちらから
九、懸弊(かかりへい)
  神弊を持ち神相撲の基礎的な神楽。動画はこちらから
一〇、神相撲(かみすもう)
   相撲の技を神楽化して演ずる、心身の強健息災を祈願する神楽。動画はこちらから
 平戸神楽が現在の型になる以前からあったといわれ、平戸神楽の中でもっとも躍動的な舞です。
二人で肩車をしたり、背中合わせになってお互いを担ぎあうなど、躍動的な舞に圧倒されます。
一一、五方開(ごほうひらき)
   木、火、土、金、水の人間の生成の元素の神々と高天原の生成化育の神々をこの斎庭に請い奉る神楽。動画はこちらから
一二、注連舞(しめまい)
   注連縄の起原を知らしめる神楽。動画はこちらから
一三、二剣(にけん)
   三本舞、三本剣とか伝い、祓いの神楽で、平戸神楽の代表的な舞の一つ。
 平戸神楽の代表的な舞の一つ。神武天皇の東征の際の一幕で、太刀によって邪気が祓われる様を演じています。太刀を口にくわえて、小刀を両脇に抱えながら
乱れ舞う様は思わず息をのむほどの舞です。
一四、三種舞(さんしゅまい)
   神の御神徳を称え、神道の本質たる鏡、玉、剣の意味を知らしめる神楽。
一五、四剣(しけん)
   四剣とは、十握(出雲大社)、雨村雲(伊勢神宮)、草薙(熱田神宮)、蝿欺(石上神宮)の四剣の事で、天下泰平と国土が豊かである様にと祈る神楽。動画はこちらから
一六、神代開(じんだいひらき)
   日本の成り立ちを知らしめる神楽。動画はこちらから
一七、猿田彦(さるたひこ)
   天孫降臨の際、猿田彦の神が道案内をする様子を演じた神楽。動画はこちらから
 二剣と並ぶ平戸神楽の代表的な舞です。天孫降臨の際、猿田彦が天孫の先導をする一幕を演じています。猿田彦ら舞人の問答シーンは能や狂言にも似ていて、問答に耳を傾けると、神話が思い起こされてきます。
一八、四弓(しきゅう)
   祓物である座陣(ざじん)・発向(ほうこう)・護治(ごじ)・治世(じせい)と祓い清めて世の安泰を祈る神楽。
   創源祝詞(そうげんのりと)
   天照皇大御神が岩戸隠れてより出御する様子を宮司が祝辞で奏上。動画はこちらから
一九、鉾舞(ほこまい)
   神々の誕生より、天の鉾が国々の根源を奏で舞う神楽。動画はこちらから
二〇、供米舞(くままい)
   黄金の散米にて占いし、三つの宝を岩戸前にかけ月光を拝する事を願います。
二一、細女命(うずめのみこと)
   天岩戸の前で舞神楽の始まりです。動画はこちらから
二二、手力雄命(たじからおのみこと)
   天照大御神が隠れている天岩戸を探しあて、強い力の神であり岩戸を開ける役割です。動画はこちらから
二三、岩戸歌(いわとうた)
   神の御心を受け継ぎて、子々孫々に栄えある事を祈る神楽歌です。動画はこちらから
二四、八散供米(やちくま)
   平戸神楽の締めくくりの神楽で、先ず剣の御魂により邪気を祓い天下泰平を祈り諸神に散供し氏子の繁栄を祈ります。動画はこちらから

平戸神楽の楽しみ方について

【神楽を見る前】
本来、神楽は神社の氏子とともに神を楽しませるための奉納の舞です。
神楽が舞われる際、氏子たちは神にお酒やお初穂をお供えするものですが、一般の方は、神殿に二礼二拍手一拝をし、お賽銭をお供えしてから見るとよいでしょう。
【神楽の最中】
さまざまな道具と技を使い、鍛えた身体と精神で舞っているのは神主の方々です。その迫力や技に、思わずかけ声や拍手が出ることでしょう。しかし、真剣を使った舞の最中は危険も伴うため、できるだけ静かに見て、舞が終わってから盛大な拍手をしたほうがよいでしょう。

平戸の伝統芸能

ジャ踊り(築地町)

起原はあきらかでありませんが、平戸は足利時代より竜を船の守神としてまつり、竜踊りをその出し物として披露していた支那と深い交流があったため伝えられたと
考えられます。明治13年から平戸おくんちで奉納され、その華麗な勇姿は10月25日の奉納踊りで観ることができます。

獅子舞(宮の町)

明治初期、四国から移住してきた、獅子舞の専門家である大島氏により伝えられたのが、宮の町の平戸獅子舞です。大島氏が、全国の生粋の獅子舞の粋を集め、
草案し振り付けしたとされます。ジャ踊りと同じく、10月25日に奉納されます。

平戸ジャンガラ

雨乞いや先祖供養の念仏踊りを起原とする説や、五穀豊穣を祈願する説など諸説があり、志々伎神社の神田領民が神社仏閣に奉納したのが始まりといわれています。
腰の鉦の音「ジャン」と、腰太鼓の縁を打つ音「ガラ」から、この名がついたとされます。8月中旬に観ることができます。

田助ハイヤ節

平戸の田助は、江戸から明治初期にかけて、鯨の積出や航路の拠点として栄え、歓楽街もにぎわっていました。その酒興の唄として生まれたのが「田助ハイヤ節」と伝えられています。三味線と太鼓で調子高いその唄は港から港へ歌い継がれ、阿波踊りや佐渡おけさなどの元唄となったといわれる由緒ある民謡です。
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